櫛の歴史は古く、古代においては除魔、厄除けの意味を持っていました。

 櫛には、「解櫛(ときぐし)」、「梳き櫛(すきぐし)」と言う、 髪を整え、髪の汚れを取る実用性の櫛と、 「挿櫛(さしぐし。前差櫛-まえざしぐしとも)」と言う装飾性を持つ櫛の二通りがあります。

 特に前差櫛の材質には「黄楊(つげ)」、「象牙」、「玳瑁(たいまい。鼈甲の別称)」、 また木製の櫛に螺鈿や蒔絵で 細かい意匠を凝らして装飾した物が多数見受けられます。とは言え、こうしたデザインや意匠を凝らしたものは 奢侈であり、長屋に住むような庶民は滅多に持てませんでした。持っていても、せいぜい一つか二つで、 それも遊山や花見の行楽、参詣などの特別な時にだけ用い、普段は黄楊のシンプルな物を、梳き櫛としても 用いていたと思われます。

 当初は、装飾性、実用性を兼ね合せ、厚みもそう無かった櫛ですが、江戸中期から後期にかけては厚みを増し、重量 も増えたため、実際に髪に挿すことは無く、櫛の歯の中程に紐を通して髷後ろで結んで用いたなど、装飾性を増しました。 そうした前差櫛(特に木製の物)には形が色々ありました。「鎌倉形」、「利休形」、「深川形」、「月形」、「妻形」などです。 利休形と深川形は、喜田川守貞の『守貞謾稿』の図解を見ると非常に似通った形をしています、主に角型で、深川形のほうが 櫛を正面から見たときに、やや真中辺り(棟)が丸く盛り上がっています。

 余談ですが、月形は前出の『守貞謾稿』によると、『俗に鎌倉形と言ふ。鎌倉形の謂、その拠知らず』とあり、 鎌倉形と呼ばれるようになった経緯は定かではありませんが、月形と鎌倉形は思うに半月形で、どちらの名称でも呼ばれていたものだと思われます。

 妻形も、鎌倉形や月形と同じく半円ですが、歯の占める面積が圧倒的に違い、鎌倉形、月形は櫛の真中三分の二ほど が歯であるのに対し、妻形は櫛のぎりぎりまで歯が作られています。

 
 「解櫛」や「梳き櫛」の流れを汲んでいると思われる実用性の櫛は、主に髷を結う櫛として発展した物と思われます。

 その種類には、「とかし」、「けすじたて」、「びん出し」、「びんじりかき」、「びん上げ」、「びんかき」、「なぎなた」 などがあります。(しかし、この辺はどうも同じ物をさした別称のような気がしてならない) びんは「鬢」と書き、耳からおでこにかけての部分を指し、横に張り出した髷の髪型を作る道具のようです。 なぎなたは恐らく女性(特にお母さんやお婆さん辺りの年代)が使っている、木製で、鉈包丁のような形をして居る櫛に近いの形状なのではないでしょうか。

 けすじたては、毛筋をつけるための櫛。また毛束を分け、後れ毛を掻き揚げるために使われたと思われます。黄楊製と言われます。

 びんかきは、半円の一方が細くなった形をしており、これは髪を解き終わった後に髷を直す為の櫛で、一方を細く したのは、びんの形を崩さないようにした為だと言います。庶民は普段、これを差櫛として使ったともあります。

 また、細くなっていないほうは、角型にした物も、びんかきと呼んでいます。

 
 元は、一つの「櫛」でしかなかったものが、実用性と装飾性の違いで全く名前とその用途が変わってきているのは 非常に興味深い事です。こうした流れから、実用性の櫛と装飾性の櫛の大きな違いは、櫛の中で占める歯の面積です。

 装飾に用いられた櫛は、明らかに面積が小さく、梳いたり形を整えたりと言う用途には向かないのが見て取れます。

 江戸中期から後期にかけてがそうした発展が著しくなり、材質やデザイン性に拘った物を生み出してきている事を 見て取れる訳ですが、購買層のほとんどが富裕な家の人々に限っています。

 
参考文献:
喜田川守貞著、宇佐美英機校訂『近世風俗志(二)』、岩波書店、1997年。
灰野昭郎著、『京都書院アーツコレクション34 田村コレクション 櫛・かんざし』、京都書院、1997年。
三谷一馬著、『江戸商売図絵』、中公文庫、1995年。