問答無用一問一答

※この情報は参考図書ともに最新のものではありません。多分に個人的な意見が含まれていることもあるかもしれませんのであしからず。

 新世界とでも申せましょうか。

 近江屋の一問一答、知識編。
 知ったからって役には立ちやせんが。

芳町は狭いところで繁盛し

壱、『陰間』って何者ですか?

 ナマモノです。<死
 まァ、何ですな、男娼です。『子供』・『若衆』とも呼ばれ俗称は様々で。舞台に関わる大夫お抱えの役者の卵なンですがね。多くはエキストラ程度や舞台を踏む前の子供です。男の相手もやるし、女の相手もします。ただし、お江戸の『陰間』に限定するなら女の客を取るのはトウの立った十七・十八の若衆ですなァ。コレが、大奥の姥桜とか後家さんとやらにへとへとにさせられたりしちまう、わっちは試したこたァないんでどっちがイイのかとんとなンですが。ふるいつきたくなる頗る美人ってのもいるのは確かでやすよ。『野郎評判記』てのが人気者リストでさ。
 『陰間』とは舞台役者の言葉であるンですが、役者の養成システムは弟子入りのように幼少の頃から置屋の親方に引き取られて種々の芸を仕込まれるってなモノ。禿(かぶろ)と同じですかねェ。舞台に出始めた者は『舞台子』(色子菓焉j、まだ芸が使いものにならずにいるのが『新部子(しんべこ)』、役者としてはまだまだな子らですが、男娼としては一番の盛りです。年は十四から十六ぐらいで、既に幼少の頃から芸(勿論、房事も)を仕込まれておりやす。
 女形役者の半人前だけが『陰間』じゃありませんでしょうがね。うっつく(きれい)な顔して、茶屋に居りゃ、猫も杓子も客も取るでしょうや。
 衣装は基本的に茶屋では振袖、売れっ子だと金剛なるマネージャーってェのが付いて回ってるンですよ。

弐、『陰間』ってどこにいるの?順位とかある?

 『陰間茶屋』ってとこに居ります。順位もありますぜ。
 そもそも男娼は陰間茶屋のある日本橋芳町が一番(いっち)と言われてましてね、次には芝の明神、麹町、湯島天神とランク付けはこの通り。寺坊主が贔屓の客さね。
 上方が発祥なのだから当然、上方にも陰はいます。
 「芳町」てのは「葭町」とも書き、場所は芝居町の裏手なんですよ。堀江六軒町てのが実の名前でしてね。
 元々芝居町の茶屋は、芝居見物の客が休む場所で、休みを取ったり、食事を運ばせたりと、お客さんの時代とは違って一日中芝居を行う町には欠かせないところでしてねェ。江戸のわっちら庶民の娯楽の一つに芝居見物もあったけれども、芝居見物となりゃァ夜明け前からその準備に大童といった具合で、その気合いの入れようは半端じゃ駄目なンですよ。勿論、娘達が熱を上げた役者も居ました。お大尽などは全部を観たら半日以上はかかる芝居を切り上げ、茶屋に役所を終えた贔屓の役者を呼ぶなんてこともあったわけです。吉原と並んで、芝居町はその年の流行を作り出している場所でねェ、そりゃァ賑やかなモンですよ。娘達は役者の娘役の衣装、髪型を参考にしやがったりしてンです。かあええモンさね。
 芝居町(二丁町)と呼ばれた堺町、葺屋町。この芝居町、一日千両の金が動くと謳われた歓楽街の一つです。成程、陰が一番なのも頷ける。
 やはり舞台に立つようなきれいな顔の少年の方が相手にする方が良いでしょう。第一、男色は若い美男子が相手でなきゃ出ては来ませんやな、人の好き好きとはいえ、そうでないと近江屋は困る。

参、昔は『陰間』とか『男色』って流行ったの?

 当世風俗、流行り廃りがございます。何時の世も無常ですよゥ。
 その昔、武士道と云えばステイタスの一つとして『若道(にゃくどう)・衆道』がありました。『男色』で御座いますね。将軍様のお稚児、寵童など主従関係における愛が常道とされたンでやすねへ……。手前には泣ける話も御座います、グス。<そうか?
 この江戸の時代になりまして、戦の数も減れば、命を懸けた主従関係も元禄赤穂までが最後たろう……と、思いきや、ススメ色道、男色において義兄弟の契りは続く。それはまるで遺伝子が半永続的に続くように。<力説な近江屋
 相手のためなら腹切りも厭わない関係は僅少なれど御座いますねへ……。こうした深い繋がりの御仁は『念者(ねんじゃ)』と手前はお呼びしております。上田先生の『菊花の契り』など、無垢なようでイッソ清い心地すら致します。その時代の義兄弟の契りってェのは情が厚く、堅いんですな。近江屋、頭が下がります。
 ……え?上田先生のは違う?
 閑話休題。
 陰間が流行ったのは寛文(一六六一)から宝暦(一七六三)、野暮と云われる二本差し、お武家様がのほほんとお役を与り、わちしら町人の暮らし向きがかつかつでも大事なく過ごせる頃、「町人中心の文化が栄えた」なんて云われる頃合いでありやすね、色道も粋と珍奇を求めて陰間茶屋も大いに栄えました。「色道の極みは二道を知ることだ」というのが世俗の風潮でもありやすからねェ。しかし、田沼家老の頃を境にぷっつりと……。
 文化・文政(一八〇四~二九)などは「町人文化の爛熟期」とは申しますが、陰間は減っておるのです。
 それでも「男色」は廃ることはないのですが、『陰間』は次第に減り、御一新を経て、ついに陰間茶屋はなくなりました。千里眼・近江屋は知っているのです。

四、『陰間』と『念者』って違うの?

 むー。同じだけど、ちょと違う……。
 ここらへんは混同しがちですなあ。
 よいですか?「色道」は二色(ふたいろ)で「男色・女色」。勝手ながら殿方を主に考えて「男色(若気頭焉j」はホモセクシャルで「女色」は男女のまぐわいを云います。で、「男色」の御仁を『念者・若衆・野郎・陰間・陰・子供』などと呼んだりするンですよ。有り体に云やァ商売をするのが、陰間。商売道具である『釜・菊・菊座』(肛門のこと)も陰間を指して使ったりしてますねェ。『若衆』は陰間も陰間でない男色好みの御仁らをも指して云うンでさァ。『念者』も然りでさ、こっちのが義兄弟の絆は深かろうとわちしは思いやすがね。
 薩摩なんかが衆道の気風でしたやなあ……。
 とはいえ、仕込みを能くした陰にかかっちゃァ、どんな奴だろうがコロリだろうがね。

碁、じゃあ、『陰間』ってどう仕込むの?

 仕込みは十二の頃から。名付けて『中学時代』、王子・アキラ(←何故に…)世代が尚良し。
 ……手前の知っている限りのことでは御座いますがね。僭越ながら開陳させて頂きやすよ。よござんすか?(逃げるなら今のうち)
 親方に預けられた子供は、男娼「陰間」となるべく様々な指南を受けます。背が高くならぬよう、筋肉の少ない体躯となるよう、肛門に傷がつかないよう心掛けねばならないのです。食事、立ち居振る舞い、寝方まで指導が御座いました。
 陰間の心得は、『客に奉仕』。
 女のようにあられもない媚態を晒したり、よがり声を上げたり、自分が感じ入ってはならない。勿論、手前がイッちまうなんざお粗末極まりない。これが客商売。苦業勤めの花魁にもここらへんが似ているのやも……。客を手玉に取りはしやせんが、客に愉しみを与えるのは同じで御座いますね。
 仕立てはコウです。
 仕立てるのは十二・十三の頃から。それより前は会陰裂傷などしようものなら大事に至るので、するとしたら神経を使わねばなりません。
 子供は、仕立てる頃から、毎晩「棒薬」を挿してやります。棒薬とは木で出来た閨での道具で、丁度元気な男根の大きさくらいの筒型の木の棒に布を巻き付けたものでさ。この捲いた布に胡麻油で溶いた薬を浸すんですな、腰湯をやった後、こいつをうつぶして寝かせた陰間の尻へ入れてやる。肛門の括約筋は弛緩しているため、さほど無理なく入る、と。……痛ぇよ…。
 指でやる場合もありますぜ。一本ずつ、日をおいて脂薬を塗った小指から、薬指、人差し指、中指。どれも爪はきちんと切っておいて、その抜き差しがスムーズにできるようになったら指は二本に増え、慣れたらゆっくりと本物を嵌入。始めは奥まで入れずに無理のないように技巧を尽くして先っぽから慣れさせる。一気に突き入れると粘膜が傷ついたり、陰間の痛みも相当なのででりけいとに扱うんですな。全部が収まるまで7日は習練しなきゃなんねェ。ちゃんと潤滑油が必要さね、陰は手前から淫水が出ても汁は出ねえンだ。奥でやっとちょろっと液が分泌されると手前は聞いたのですが、そこらへんはお医者様に聞くしかねェ……にしろ、云ってて痛ぇよ…。
 「張形(はりがた)」ってェのが知られた道具ですが、その場合は子供を四つ這いにさせて尻を高く持ち上げたナリで丁字油をちょいちょいっと筆で塗ってやり、深くならないように道具を入れる。
 初め、棒(や張形)を抜いた後に紙縒でもって薬をひねり込めて直腸裏膜を腐食して感覚を鈍らす。次からは山椒の粒などを棒薬にして入れる。その刺激で菊の内は痒く感じるが、何かを入れて撫でて貰えば快くなるんだそうな。つまりは、自ずから求めるようになるという手筈。またはぴりりの刺激で挿入による疼痛が鈍るためとも云いやす。
 手前で精射が出来るようになると自ずと手前の肛門の使い方も分かるようになるから締め付けたり加減を覚えるようになるんだそうで。体位も慣れれば四十八手も造作ないね。
 陰間の商売道具は肛門。『菊・釜・後庭華』などと云いやす。そうしてまた、上質のものは「上品(じょうぼん)」と云い、臀部の肉が厚く、切り込みが鋭くて、柔軟性があり、四十二の襞が緩やかであること。潤滑油を与えるとしなやかになる、これが、女陰にも勝る快楽を与えるという話。
 因みに、「こんなボーズ、俺、ヤダ」という場合には素股といって、入らせないで股でイカせる技もありやす。
 無理をしたり、遣りすぎると、当たり前だが、『痔痛』になり、釜は破損。
 当然、ケツの穴の中に手前の道具を入れるンだから、汚れることも当たり前。基本的に菊座は清潔に保つように心掛けて事を行う度に洗い、清拭をしているんですがね。陰は一日二回、人目を忍んで厠へ行き、排泄を済ませるように生活づけられてはいるんでやすが、自然の欲求はそんな事情とはお構いなしにあるわけで。
 ────屁を嗅いで気を悪くする陰間好き
 「気を悪く」てェのは、このときは下が興奮しちまうってな意味なンですがね。放屁に関しちゃァ衆道ならではでやしょうねェ。他にも「黄錦・黄袈裟」など、これは言わずもがな。付着したら焼酎でよおく洗い落としてやっつ下せぇ、お坊様。
 どうしたって陰間は痛い思いしちまうんだから、少しは楽しませてやれよ、と近江屋はいつも思うンですよ。他人事なんですが。
 あ。お江戸は女人が少ねェンですがね、(と云われるが実は統計的にはそうでもなかった。独身男性が多かったのは本当)何も陰間に限らず衆道の関わりは御用聞きと丁稚、番頭と丁稚など美しい子供がいたら釜取られたンですよゥ。

六、『陰間』って高いの?

 エエ。ピンキリですがね。お高いんですよ。
 一日買切り(仕舞)二両二分、半日一両一分。一切り(約四十分から六十分)一分。一両は四分。一分は一千文。当然小花(チップ)も付けるのがお約束。かけ蕎麦一杯十六文として計算してくんなせえ。手前共は日当四百五十八文であすぶ(寄席など)も飲むも悠々生活出来やすよ。(分かりやすくかなり大雑把な計算。一両を約十万と考えれば良い、2001年の現代の貨幣価値を考えるなら二倍と思うのが妥当かも)

 お。お呼びだ…(続く)
 質問がありましたらば、どうぞ番頭気付の『近江屋』へ。
 次回は花魁編に参ります。

※参考文献は『僅少謹呈、江戸言葉』に記載しております。

01/01/03 文責:近江屋